震災から20年の日は、入院中の家族を見舞いに西宮で過ごし、いろいろ思い出していました。
当時、私は神戸の学校に西宮から通っていたので、震災後しばらくは臨時バスを使って通学。
ノロノロと進むバスの窓から、がれきの街を眺めながら、片道4時間くらいかかったように思います。
同級生はみんな無事だったけど、ご兄弟が亡くなった子はいました。西宮の高速道路が落ちた映像は、TVで何度も
流されたと思うんですが、あれは近くのよく知っている場所で、今考えてみても信じられない光景ですよね。
給水車に並んだとき自分はあの服を着ていたよな、とか。父が自転車で大阪まで行って、
水を調達してきてくれたんですが、かごに入りきらなかったのか、よく覚えていないけれども、
重たい水を手でも持ちながら自転車で帰ってきて、指がたいへん痛々しかったことや、地割れにはまって
母がケガしたとか。忘れてしまったこともあるけど、そんなときがたしかにあったんですよね。
「私は東京にしか知り合いがいないから、ももちゃんが今元気でいてくれることをすごくしみじみ感じてしまって...」
20年の日、東京に住む友人が送ってくれたメール。
人の愛に支えられて、今ここにいるんだな。あらためて思います。
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