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2016年11月27日日曜日

おひさしぶりです


寒い日がやってまいりました。皆さま、お元気でしょうか?

ブログをお休みしていたあいだ、わたしの周辺ではじつにいろんなことが起きていました。義父の入院先に毎週行き、田舎の祖父母の通院に同行するため地方に行き、そうではないときは実家の犬をあずかっている。義父の実家がある田舎の村仕事がなんとなく(確実に?)夫に代わられることになり、休日は田舎へ行くことも増え、そんななかうちの母が骨折、弟が入院、夫も骨折、93歳の祖父も骨折、祖母は認知症。

わたしも風邪が長引いて2週間ほど寝込みました。いやー、重なるときは重なるってこういうことなのね。(いまも一部継続中)

このように不穏なことがつぎつぎと起きると、いろんな思いを味わうものです。自分の暮らしは常々見直してきたけれど、親族とのかかわりを含むこれから直面するであろうさまざまなことに対する予感がリアルになりました。

いまわたしはどれもお金を得る働きはしていないことになるのですが、役に立つってなんなのでしょうね。

働いてお金を得ないといけない。という教育をうけ、仕事への情熱が持てなくなったときには母からたびたびお叱りをうけてきたわたしですが、いま、お金になることはしていないのに、まわりの人たちは喜んでくれる。わたしも、自分の人生を生きてる感じがする。お金って、働くってなんなのか。

もちろんお金がないと食べるものも買えません。

消費するものがあるからお金が要るわけですが、その消費についてはまた機会があれば触れるとして、将来を考えると、祖父母との残された時間はみじかいし、祖母の認知症は進んでいくし、母親は歳をとっていくし、母には夫がいないし、人手がないので、これからしんどい方へ向かっていく(もう始まっている)だろう。夫の両親だって、親戚が近くに住んでいて助け合っているとはいえ、彼らもみんな歳をとるわけです。

夫の家のことは、なんやかんやあっても勉強だと思って取り組むとして、自ら進んでやりたいと思って起こした行動ではなかったとしても、やってみると発見や新たに知れたことがそれなりにあり、かつみんなが喜ぶので、わたしがやることでみんなまるくおさまるのであれば自分がやればいい。と思うのでした。

いやなこともありますよ。でも自ら進んでやりたいと思うことが幸せな道だとは、あんまり思わなくなりました。意外に、人が運んできたことに取り組んでみたらふと、幸せを感じる瞬間があったりもするのです。

まあそれ以外のところで興味のあることもしておいて、落ち込まないように自分とうまいこと折り合いをつけることですかね〜。