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2017年1月27日金曜日

これから


「これから親のケガとかどんどん増えてくるよ」

先日、年上の友人が言った言葉です。そうなんですよね。

べつの友人は、義理のお母さんがいつボケるかが心配、もともと天然な人だからわかんないよね?と。

うちの祖母が認知症と診断されたのは昨年でしたが、

それまでにグレーの期間が何年かあったのだと思う。

離れて暮らしているからわからなかったし、たまにもの忘れしてましたけど、

老人だからそういうことあるんだね〜と思っていました。

ちょっとおかしい?と疑わしく思ったのは2016年の正月。

でもそれも、そういうもんなのかなあと、、

その後、診断によってやっぱりアレおかしかったのか。となったのですが。

で、今月義母が骨折。昨年からの流れを知る友人と、冒頭の会話となったのでした。

夫が年上なのでだいたい同世代の子より10年くらい早くそういうものが来るだろうと思ってはいるんですが、

わたし自身20代に片親を見送っているし、その後も本当にいろいろあったし、いまもあるし、、

見えていることがすべてではないんだよ。

いろんなことが起きてくれるもんです。

ありすぎて、もうお勉強とか習いに行くだとかはいままでじゅうぶんさせてもらいましたから、

蓄積されたものが身についたものが自分のなかにあると思うから、もういい。

答えは自分のなかにある

と、思うようになりましたよ。

かれこれ振り返ってみましても、家庭のいろいろな複雑さを抱えつつ、外ではなにごともないかのように生きていて、

ひとりで仕事をやっていこうと、お勉強や人脈づくりに交流やら自分磨きにと、ガツガツ励んでいたわけで。

心の内を見せまいと、かたい壁を築いていたんだろうかとは思いますが、

そのメンタルたるや、いまのワタクシにはもう維持できません。っていうか、放棄しました。

そんな壁いらないんだよ

なくても生きていける

というか、なくして生きていいんだよ

と、グルッとまわってそのような境地に。

いや、オバサン化による開き直りでしょうか。←それもある。







2017年1月20日金曜日

移住


わたしがいまの街に引っ越してきていちばんの友人が、遠くへ移住することになったのですが、

なにがいちばんだったのかというと、

最初にできた知り合いであり、未だにほかに友人と呼べそうな人が近所にほとんどいないということ。

移住するという実感がわたしにはいまひとつわからなくて、

悲しいとは漠然と思うんですけど、こんなとき

遊びに行ける場所が増えた

と、まっさきに思えるとラクなんだろうなあ。

要は自分がどう捉えるかで心の重い軽いは変わるわけで、

数年前、好きだった古い映画館が閉館したときウジウジと嘆いていましたけど、

あのときよりは穏やかな心で彼女を見送る自分がいるのを感じていると、

ずっと変わらないものなんてないんだよな

変わっていくのが常であるから、そういうもんなんだよ

と、まわりを受け入れられる心の隙間が自分にすこしできたのかな。

今日は大寒なのですがそんなに寒くなかったですね。

季節感といえば、わたしは衣替えをしません。

夏に着ていたカットソーを冬に着てそのうえにセーターを着たりするからです。

四季のある日本だけど、昔からすればボーダーレスになってきているよなあ、、

わたしが怠惰になってきているだけでしょうか。







2017年1月18日水曜日

自分が描きたい世界があって 「火花」 又吉直樹



「自分が描きたい世界があって」という箇所に最初に引っかかった。

自分の美学とスタイルをもつ神谷さん。

生きるのがうまくない。なかなか人に世間に理解されない。良さが才能が伝わらない。

そういう姿、自分自身や家族や友人だったりに思い当たる人、いるんじゃないだろうか。

商業的なことを放棄してまでも、自分が思う「面白い」を追求。

ずっと売れず借金は膨らみ、借金取りに追われながら、

それでも笑わせ方を考えることをやめないでいる(しかしやり方がわからない)うちに、

シリコン入れて巨乳のおっさんになってしまう。という神谷さんなのだが、

彼を尊敬し並ならぬ才能を見出している主人公にとって、

世間的に開花しない(つまり商業的に売れない)その姿は痛々しいほど不憫でならないはずで、

しかしいっぽうで、神谷さんと居心地のいい日々を送りその教えについていきながら

主人公はやがて、芸人として売れるということは自分にとっては、

神谷さんが歩く道をついていくことを「破壊する」ことではないかと思うようになる。

つまり主人公が神谷さんからひとり立ちするときがくる。

自分のスタイルを貫くことと、売れること(世間)との折り合いのむずかしさは、

我が事のようにわかる人も少なからずいると思う。

神谷さんは、「美しい世界を破壊するところに面白いが起こる」というようなことを言っていて、

主人公が芸人として神谷さんとちがってくる(破壊した)ことはなにを表しているのかというと、

主人公と神谷さんが過ごしてきた日々は濃密で美しい幸福な世界であったということを表していたんだ。

それほどに主人公は神谷さんが大好きなんだ。ということに、最後まで読んではっきりする。

壊して成長する、その痛みの物語であるように思う。

注目されるのは一握りの人たちだけれど、はじめから一人しか芸人がいなかったらそいつは面白くなっていなかったはずだ

無名の奴らの存在があったから有名になれた奴らがいるのだ

どいつもどんな無名の奴も必要な存在だったんや

芸人をやめて就職しても、おまえは一生芸人であり人を笑わせることができるんや

笑わせて生きていけ、というようなことを神谷さんは語る。

ぜったい報われる保証はなにもなく、自分が考えた「面白い」を笑ってもらえる保証はなにもない。

そのような状態で、舞台に立ち披露する恐怖に挑み続ける。

自分のなかでは面白いのに、世間に出すと面白くないということがある。

わたしは人知れずやっていたいという心理についてときどき考えるのですが

世間に晒すことによって起こる「なにか」を、恐れているからなんだろうなと思う。

自分が描きたい世界があって、神谷さんはなにがあってもそれをやり通すが、

主人公はそこに世間的な制約があるとやめてしまう傾向について書かれた箇所がある。

わたしは神谷的な部分が自分にあると思うけれど、

制約を突き抜けるほど神谷的ではなく中途半端なのでした。

そういう人、多いのかもしれないなあ。








2017年1月17日火曜日

551バーガー


いまの時期やわらかい春菊を生でサラダ感覚で食べたら美味しかったんですね。

市販のドレッシングを買わないのですが、ビネガーやオイルやマスタードなどを合わせて、

わたしはそれでじゅうぶんです。

551の豚まんに生春菊をつめてみたら、なかなかいける。







2017年1月11日水曜日

変わっていく


年末にカラーコンサルに来てくださいました。

宣伝に力をいれていないのに(汗)、覚えていてくださりお声がけいただくことは、本当にありがたいことです。

長いおつきあいのかたもおられ、その当時からすると

いまはあんまり活動的ではないと思います。

活動の対象が変わってきたというか…。

宣伝しないならもうブログをしなくていいんじゃないか

読者は色彩とファッションの話を読みたいのではないか

そう思うことが何度もありましたが、

最近思うのは、わたしだけではなく受講生さまも、

それぞれの人生において変わっていき、

おたがい変わっていくものなんだな、です。







2017年1月10日火曜日

新年


おめでとうございます。いかがお過ごしでしたか?

わたしはそれなりに充実した年末年始を過ごし、

また、周囲の体調によってこれまでとちがう過ごし方にもなった

そんな休日でした。あいかわらずハードにあっちこっち行っていましたが。

家族と迎えることそれだけでじゅうぶんにありがたいことですね。

大みそかに起きた事故で、両親を亡くした男の子を思うと本当にかわいそうでならない気持ちも心のなかにありました。

そういうことが起きてしまう、いつ起きてもおかしくない。そのような世界でわたしたちは生きている。

フランスで行方不明の学生の事件で思うのは、

身を守ることと新しい体験をするためオープンでいることの境界ってどうなんだろう?

わたし自身、あのときオープンでいたら自分はもっと新しい体験や学びがあったんじゃないかなあ

それを閉ざしてしまった自分…。と思うことがあったからです。

自分の意志というより、決め手は母のことばでした。母親のことばはとても強力です。

よく知らない外国人の家に行くなんて危ないからやめなさい

よく知る知らないのジャッジが母とわたしではちがうわけで。

だけどそのことばによって、え、そうなのかな。と揺れ始めたのでした。

選択したのはわたしだから、結局わたしの意志ですけどね。

あれは危なかったのかなあ…

おかあさんのことばによって助かったのか…?いまもわかりません。

相手にすまなかったという気持ちがすこし残っています。

今回の事件を見ていると、国民性のちがいもあるけど人間性の問題でもある。

日本人同士でも起こりうる話だなと思いますよ。