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2015年7月18日土曜日

Digital Detox



フェイスブックのアカウントを削除はしていませんが、積極的に更新しなくなって1年以上。当初は友人、知り合いの方々から消息不明と心配をしていただく事態となり(笑)、お会いすると「なにかあったの?」と聞かれました。とくになんもないんですけどね。と答えていましたが、ほんとうはあったということに気がつきました。

最初のきっかけは、引っ越したことです。義理親族とのつきあいがそれまでより増え、ブログ(当時の)を読まれていたので日々の生活行動を把握されているような気がして息苦しくなっていきました。引っ越す前まではなんとも思わなかったのですが、好意で読んでくれているとわかっていても、リアルで会うのも電話も増えてからはあまりいい気がしなくなりました。

次に訪れたきっかけは、インドの旅です。知らなくていいこといっぱいあるな。とインドで思いました。

人も町も汚い、いいかげん、道はガタガタでデコボコ。野良ウシと野良イヌがそこらじゅうにいて、野良ブタ、野良ザルもいて、動物の暮らしに人間がたまたまいっしょに住んでいる。みたいな世界は衝撃のおもしろさでした。移動の車で、道がわるいので揺られて体をガンガン車中でぶつけて翌日筋肉痛になっても、道沿いのふつうにあるゴミ山に野良ウシが群がる光景に何度も遭遇しても、ドライバーが家で寝てて遅刻してきても、道をたずねれば、知らないくせに知ってるふりをして(インド人の親切心なのか、ぜったい知らないと言わない・笑)、たぶんこうだと思うというぜんぜんちがう道を教えてくれて、余計に道に迷っても。こんなエピソードは尽きませんが、異世界すぎてなのか、どこか憎めない。

成長国インドなどと耳にしますが、それはほんの一握りのエリートインド人の世界のことで、カーストがあるかぎり多くの人々の暮らしはたぶん10年後もさほど変わっていないのではないかな。ほんとうに汚いし貧しいのですが、でも笑顔はすごく美しくて、目はキラキラしていたんですよね。
日本で文明の利器に囲まれた暮らしをしていて、そこではたくさんの情報を手にしていることがいいと思っているけれども、幸せってなんなのかと帰国して考えていると、知らなくていいこといっぱいあるな。と思うようになりました。

そのころは、プライベートのことはフェイスブックに、仕事の最低限のことはブログに、としてみて解決できたかのように思っていましたが、インドのほかにもいろいろあってだんだんフェイスブックから距離を置くようになっていきました。フェイスブックで流れてくる友人や知り合いの近況を、知らなくていいことと思っているとネガティブに捉えられるのはちょっとちがうと言いたいのですが、オンラインでいつもつながっていなくても会って話ができるのがほんとうの友達なり知り合いなんじゃないの?と思ったんです。

フェイスブックにかけていた時間は、まず投稿するための写真の加工、文章、いただいたコメントへの返事、みんなの投稿にイイネしたりコメントしたりと、けっこうかけていました。
それをやめた代わりに、いままでやろうと思っていてできていなかったことをリストにしたり、昔好きだったことを大人になってもう一度やってみるということにあてるようになっていきました。

たとえば、長年連絡をとっていない海外の知り合いに手紙を出すとか、ずっとしまっていたポスターを額を用意して部屋に飾るとか。10代に読んだ小説をふたたび読んでみるとどう思うのかとか、映画をもっとたくさん観て女優の魅力を探るとか。料理のレパートリーを増やして食生活を豊かにするとか。
すると、地味なんだけど充実感。そっちが忙しくてフェイスブックがなくてもよくなりました。

ですが、友人と集まったとき「こないだ載せてたあれ」という会話についていけないことや、「フェイスブックですでにお知らせしていましたが」と言われることがあるので罪悪感もあります。
プライベートと仕事の境界があいまいなので、余計に悩ましいところです。

興味があることに素直に取り組んでいる解放感はありますが、遊んでいるともいえると思います。以前のようにプライベートのこともブログにオープンに書いていたほうが人間性が伝わるので、仕事をするのには向いていました。けど、家族とのバランスは今のほうがとれていると思う。


この記事を書くことは長いあいだ迷っていて、心のなかで思っていればいいことですし、アカウント削除をしないから悩むんだとか、家族にこれ読まれたらなど思いましたが、日々の目にするもの、耳にするものからも、「だれともつながらない時間」の類のフレーズに妙に反応するようになり(アンネ・フランクの番組でも出てきたのです・笑)、ここ数年の変化とやってみたことを書いておこうと思いました。皆さんはどう思われるでしょうか。
最近わたしが読んだ関連記事もよかったら読んでみてください。

2015年7月9日木曜日

Casino Chanel




秋冬オートクチュールコレクションが行われているパリより、気になったシャネルの今回は、カジノ!ゲームに興じるゲストたちの周辺を、モデルたちが練り歩くという仕掛け。

近年は会場そのものに、あるときはスーパーマーケット、あるときはブラッスリーを誕生させショーを行なってきたカール・ラガーフェルドの頭のなかは、どうなっているのでしょうか。と問うたことはすでにこれまで数えきれません。

90年代のあるシャネルのコレクションで、ランウェイにベルトコンベアを敷き、その上にモデルが乗って登場したショーがわたしの脳裏によみがえりましたが、あんなもんじゃなかったんですね。ビッグスケールな舞台装置へ、つねに時代の先を見据えながら仕掛け続けるカール様です。

カールのいまのお気に入りモデルは、このケンダル・ジェンナーになったんですね。カーラ・デルヴィーニュはもういいのか、どうなのか。と思ってみたところで個人的にあまり興味のない両名でした。(笑)

それよりも、ココ・シャネルがこの舞台装置を見たらなんと言うでしょう。そのことを想像したいと思います。


シャネルの全ルックはこちらからご覧ください




2015年7月1日水曜日

Rainy Day

 
今朝の吹きすさぶ雨、すごかったですね。あのときもそうだった。と、ぼんやりしておりました。あれは夕方のどしゃぶりで。1日ではなく翌日の、7月2日だったかもしれない。今日は父の命日です。
 
こんな雨で思い浮かぶ、スーパーモデル タチアナ・パティッツのこちらのショットは、ファッションフォトの巨匠のひとり、ピーター・リンドバーグによるもの。
 
タチアナのキレのある顔立ち、男らしさ。10代のツルンとした細胞が共感するには遠すぎた、その美顔と佇まいは、いまだからわかるようになってきた男女を越えたかっこよさがあると思うのですが。皆さんはどう思われるでしょうか♪
 
 
Tatjana Patitz. Photographed by Peter Lindbergh for Vogue August 1989.
 


リンドバーグが残したタチアナとスーパーモデルたち。レジェンドなこちらのフォトもご覧ください。